こんな私だっていいじゃない!

人を気持ちよくさせることで自分を守ってきました。でも、そんな生き方は私にとって幸せじゃない。むしろ自分が可哀そうなんだ!ってやっと気づく事が出来ました。

子供の成長

上の子供は英語に困らない。

かといって、家族や親戚や身内にネイティブがいたり、英会話教室に通っていたりしていたわけでもない。

たまたま、そう育ってしまった。

私がそう育ててしまっただけ。

色々副作用も多少なりともあったので、下の子にはしていない。

 

昨日、上の子が学校を早めに切り上げて帰ってきた。

理由を聞いて驚いた。

自分の生徒さんたちに至急で授業をしなければならないからとの事。

 

・・・・・・?

何言ってんの?

生徒はあんたでしょ?

あんたはこの4月からこの専門学校に入ったんでしょ?

 

私の頭には「?」がいっぱい。

 

すると

実は1年ほど前からネットで英語を教えるボランティアをしているんだと話してくれた。

そして、私達親にそれを言わなかったのは、それを仕事に(=お金を稼ぐということに)結びつけようと言ってくるから話したくなかった事や、一緒にボランティアしている主催者に自分の意思をきちんと伝えているし、いろんな国の人達と一緒にボランティアをしていて楽しいとも話してくれた。

 

小4から不登校で世間知らずで人間関係を築くのが下手で生意気ですぐに相手を怒らせて敵を作るし孤立する上の子。

 

でもそれは私が井の中の蛙だから見えなかったのかもしれない。

この子の目に映っている世界が。

 

もしも私がこの子のように英語が使えたら、本当の意味で見えるのだろうか?

この子の見える世界が。

愛も変わらず

 

久しぶりに出勤した日=久しぶりに彼氏に会った日。

 

 

 

「今日はやっと愛しい貴女に会えました。」

お昼休みに隣でご飯を食べている彼からそっとメッセージが送られてくる。

 

彼氏にうつらなくて良かったな。

そう思いながら返事を送った。

 

 

それからほぼ毎日のように私達は会社のどこかでキスをしています。

愛してるの言葉とキスだけ。

 

 

 

そして夜になると彼氏から「早く抱きたいよー」って泣きのメールが来るのです(笑

陽性反応。その後。

先月15日に陽性反応。

 

後日、マスクを「アイマスク」にしてふざけていた1番下のアホ以外の家族全員に陽性反応が…。

家族感染恐るべし。

 

ってか、なんなんだよ。コロナウィルス!!!

(1番下の子だけを隔離出来るわけないので、そのまま一緒に過ごしたけれど、最後まで感染することはありませんでした。)

 

 

そして、会社だけでなくお客様にも多大なるご迷惑をおかけしました(滝汗

 ↓

tsukinokoi.hateblo.jp

 

会社復帰直後は、顔の浮腫みもひどく、咳や息切れもあって思うように体が動かなかったけど、やっと最近になって浮腫みはほとんど消えて、咳もしなくなった。

あまりにも動けなくて1週間寝たきりだと立てなくなるって本当なんだなぁ…って思った。

ただ未だに味覚鈍麻。

料理の味付けは子供達に確認してもらう。

浮腫みの原因の半分はこの味覚鈍麻のせいなのかもしれない。

ただでさえ味はついているのに「味を感じている」という感覚を得たいがために必要以上に塩を摂取していた

今のところ、トマトと出汁(酸味と旨味?)に味がというか、「美味しいと思える感覚」があります。

 

いつになったら治るんだろう?

治るのか?

 

陽性反応。

コロナウィルスに感染しました。

会社は1週間閉鎖になりました。

自分1人の感染で数百人からの人達の生活に支障が出てしまうって現実は、結構メンタル的に堪えます…。

 

 

2月15日の朝、熱っぽいと思って図ったら37.6度の発熱。上司に電話。会社を休む。

念のため予約したPCR検査をすぐに受けられたのが幸いだった。(こちらは今は中々検査も受けられないのが現状なので。)

結果は翌日の昼頃と告げられ、風邪薬と解熱剤を処方され帰宅。

関節痛と咳と痰、鼻づまりと言うインフルエンザに近い症状があったけど、一番しんどかったのは 怠さと頭がハッキリしないという症状。

私、認知?脳梗塞の前兆?と思っちゃうくらいに頭が働かない。

 

翌日の2月16日早朝に電話がなる。

ドクターより陽性反応が出たことを告げられる。

陽性だと連絡が早いとか聞いた事あったけど陰性だったらお昼近くまで待たされるのかな…と思ったりしたが

次の瞬間には「会社閉鎖だーーーーーーー!!やっちゃったぁぁぁぁぁぁーーー(泣」

だったりする。

 

「オミクロン=発熱と喉の痛みが顕著」のイメージが強かったのだけど、実際になってみて

(軽めの)頭痛⇒(うっすら)寒気⇒のどの違和感、声の出辛さ、鼻水⇒発熱⇒関節の痛み⇒のどの痛み⇒味覚鈍麻

こんな感じでした。

 

旦那と子供2人は、濃厚接触者になった段階でPCR検査は保健所の指示がないと受けられなかったので、保健所が決めた予約日まで検査を受けられず未だに陽性か陰性か分からず生殺しの状態。

まぁ、その間に旦那の会社や下の子が通う小学校でも陽性者が続々出てきたらしいので、どっちにしろお休みにはなったのでいいんだけど…。

 

それにしても家庭内隔離は難しい。

特に家の事をやる人物が感染すると…。

消毒し過ぎで手がかっさかさw

気も使う。(もう何度となく「全員感染しているに違いない」という諦めの気持ちに襲われている事か……しくしくしく…)

 

今日で自宅待機8日目。

15日を発症日としての換算なので25日が自宅待機最終日。

自宅待機が解除されたら何といっても買い物だな。

とはいえ、そんなにストックしていたものは減らなかったな。

というか、ストックし過ぎていたんだなぁ(反省

 

 

否定から自立せよ。

 

今日は大好きだった祖母の命日。

 

30年前の私はもういない。

現在、私は今の私を生きていて、私には過去にしか思えない「今」を母は自ら望んで未だに生きようとしている。

 

今日も2時間以上、一緒に住んでいる叔父の愚痴と、自分の思うように動かせない私への苛立ちと恨みを電話でぶつけてきた。

母は私が電話に出るまでは、どこまででもいつまででも鳴らし続ける。

この前は職場までかけてきて、黙って私を出せ!と上司を怒鳴りつけてくれました(苦笑

 

べつに恨まれてもいい。

私は何度も母に語り掛けたし、手を伸ばし続けた。

 

 

それでも母は全く耳を傾けることはなく、差し出す手をピシャリとはねつけ、関係のない男達の手を取る。

そしてその度に大きな金額を失っては新しい恨み辛みを手にして、また私にその愚痴や恨み辛み達を私にぶつけてくる。

 

それを繰り返すばかり。

 

 

 

 

 

否定から自立せよ。

 

 

 

 

生死は自分で決められないが、死ぬまでの生き方はある程度、自分で決められるのだから。

 

 

姫はじめ。

 

彼氏から早く抱きたい早く抱きたいとずっとアプローチが続いていた。

 

でもいろいろ忙しくて。

気分もイマイチ乗らなかったし。

しかも生理中だよ。

とか色々言っているのに

 

 

黙って抱かせろ。

 

 

限界なんだね。

今までの彼氏なら、うん。分かった。って物わかりの言い返事を繰り返すだけだった。

そうやって沢山の事を諦め、自分の事も諦めて生きてきた彼氏だけど、私の事だけは違う。

諦めないし、離さない。そう決めたんだって。

 

 

 

激しく腰を打ち付ける音と私の喘く声が休日の社内に響きわたる…。

 

 

 

一生離さないから。

覚悟しとけよ。

お前は俺のもんだ。

 

 

 

うん…。

でも、また来年の姫はじめの時にも変わらぬ愛を囁いて…。

ずっとずっと…。

 

 

夢は夢。

 

tsukinokoi.hateblo.jp

 

意外な人物の些細な一言で全てが終わってしまった。

本当に突然の終わりだった。

ただ、私達の気持ちは前回のような悲しみや怒りに覆われることなく、ただただ静かにその終わりを受け入れる事ができたのは唯一の救いだと思う。

今回は彼も協力してくれていたので、とても驚いていた。

 

 

 

さっき彼女からLINEが来て数日後に会うことになった。

優しい味が自慢の和食のお店をすぐに予約した。

いつもの個室でゆっくり料理を楽しんでこようと思う。