こんな私だっていいじゃない!

人を気持ちよくさせることで自分を守ってきました。でも、そんな生き方は私にとって幸せじゃない。むしろ自分が可哀そうなんだ!ってやっと気づく事が出来ました。

自分の幸せは自分で決める

毒親からの毒電話は昨日だけでは終わらなかった。

今朝も朝5時前からメールが鳴っていた。

 

「起きろ。電話をよこせ。」そんな内容を、皮肉たっぷり混ぜて送ってきた。

 

せっかくの休日が…(溜息)

ゆっくり起きてコーヒー飲もうと思っていたのに…。

連続するメールにうんざりしつつ、これがLINEでなくて良かったとも思った。

 

少し布団の中で過ごしながら、残っている書類の整理がまだ終わっていない事を思い出したので、その書類や雑用を片づけたりして午前中は過ぎていった…。

 

なにやってんだ。私はw

 

子供達も思い思いに時間を過ごす。

我が家は休日は朝からお菓子を食べようがお昼過ぎに顔を洗おうが自由。

後で自分が困らないよう、きちんとやることをやってあれば問題ナシとしている。

 

 

昨日の毒電話でもそうだが、つくづく思う。

「自分の幸せは自分で決められる。」

少なくとも今自分はそういう国に生まれている。

 

それを教えてくれたのは、もちろんこの毒親でもなくうちの親族の誰でもなく、今のパートナーを含めた友達だった。

今のパートナーは毒親の吐く毒にも動じず、最初のパートナーを始め毒親の配下にあった人間達にも振り回される事もなかった。

時には優しく、時には冷静に私を諭しながら本当の常識を教えてくれたのもパートナーだった。

3.11の時にはメディアによって美談に書き上げた事の裏で、沢山の人達が人間の本性と戦いながら生きていたと思う。

もちろん当時は私もその1人で、私は子供を守る為に毒親毒親の忠実な僕であった最初のパートナーのもとから離れる必要があった。

最終的には物理的に距離を置くことが出来たが、そこに辿り着くまでは本当に本当に苦しかった。

でもそれを成し遂げられたのは友達とパートナーの励ましがあったからだと思う。

最初のパートナーとの離婚が成立するまでの経験は今では大きな自信となっている。

今のパートナーからのプロポーズを受けた時は嬉しさもあったが、当時は稼ぐ手段を持っていなかった自分には、この結婚が自分が本当の「自分」として生き直せるためのチャンスに繋がるように思えた。

そして、今はこの年齢にしては少ないけれど給料をもらいながら働けるようになった。

 

そんなことを薄らぼんやり思い出しながら 遅いお昼の支度をしつつ毒親に電話をかけた。

代々続く親戚の揉め事の愚痴から始まり、続く私への暴言が受話器の向こうから響き渡る。上の子が横を歩きながら呆れ顔で私の頭をひと撫でしてからココアを片手に階段へ向かう。そんな姿を目で追いながら「うーん…。上の子はスマートな男になったなぁw」と思ってみたり、「ま。私の事が妬ましいのは分かってはいるけど、あなたも散々美味しい思いを味わってきたでしょ?」とか毒親に思いながらも、その子供の義務として聞き流すことを繰り返しながら電話を切った。

ほんと、面倒くさい。

電話の後はぐったりしちゃうけど、もう自分の幸せは自分で決められるって知った今は、毒親と同じ世界で生きなくて済むから大丈夫。