こんな私だっていいじゃない!

人を気持ちよくさせることで自分を守ってきました。でも、そんな生き方は私にとって幸せじゃない。むしろ自分が可哀そうなんだ!ってやっと気づく事が出来ました。

家族

上の子供がポツリと言った。

 

こうやって皆でコタツに足を突っ込んで喋るのっていいよね。

 

休日の夕ご飯は家族そろって食事をする。

基本、我が家は個食でも可としている。

特に上の子は日によって生活リズムをガラリと変えるので個食でないとご飯が食べられない。

まぁ、いざとなるとこの家族は一致団結出来るし、日頃は(我が家のルールの元)各自の判断で生活を送っていても問題はないと思ってます。

 

にしても…。

いーーーーっつも思うんだけど、上の子のつぶやきって(私と一緒にいくつかの人生の修羅場を潜ってきたのもあるんだけど)私にはずっしり来るんだよなぁ…(苦笑)

 

ってなことで、お風呂でビールを飲みながら子供達やパートナーとのこれからの時間について考えてみたりした。

 

子供と一緒に生活をする時間はきっとあっという間に感じるほどの時間なんだろう。たとえそれが傍から見たら長い期間に思われるものでも。

そして、旦那と一緒の時間。これもきっとお互いどちらかがこの世を離れる時にはあっという間に感じるのだろう。子供と同様、傍から見たらそれがそれなりに長い期間だと思われたとしても。

この家族の時間は私にとって短い。

それはとても幸せな事なんだ。

そして、この幸せはこの家族1人1人の時間から人生からそれぞれに成り立っている。

だからこそ家族には「自由」でいて欲しい。

楽しく生きて欲しい。

持論だが、今現在の常識は30年後には非常識になっていると思ってる。

子供達にも

自分の常識は自分で作りなさい。他人から教わる「常識」と言われるものは、ただの<やり方>や<その場限りの単なるルール>なだけだから、聞いてもいいけれど自分の常識として吸収してはダメ。

と話している。

もちろん、そう話しておきながらこれは私の人生で見つけた私の「常識」っていうお話だけどね。と付け加える。

 

自分の中の何かを犠牲にしたり殺したりして自分以外を喜ばせたって、最後には自分は嬉しくも幸せにもならないのだから。

 

この家族も

彼と私の家族も

笑顔で日々を送れるように、その瞬間を楽しく生きよう。

 

自分を騙さないように。ごまかさないように。

 

コマンドはいつだって「イノチタイセツニ」だ。